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若葉海道

海上保安大学と大麗女島を望み、遥か古墳時代を想う

吉浦駅から国道31号線を再びあるきはじめた。神賀橋を右に曲がり、踏切を超えると海沿いに立ち並ぶ工場群のすき間から再び海が見えてくる。道なりに緩やかな坂をのぼりつめると峠上には若葉町というバス停があり、海軍増設時に大きく削平された海上保安大学周辺とその正面にうかぶ大麗女島を眼下に見ることができる。

海上保安大学は、数年前に「海猿」という映画やドラマの撮影が行われた場所として有名である。また、校内には、昭和五十五年(1980年)に海上保安庁創設三十周年を記念して建設された海上保安資料館がある。ここでは、海上保安庁の巡視船やヘリコプターなどの写真や模型が多数展示されており、一見の価値がある。

さらに、遥かに遡ること千数百年、この場所には池浜古墳が存在した。池浜山から海へむかってのびていた丘陵が海軍増設時に大きく削平されたことにより古墳自体 は消滅している。しかし、この削平工事のとき石棺が発掘され、その中から人骨や五世紀頃のものと推定される銅鏡、勾玉、剣、槍などが 出土している。

古墳時代は一般的に弥生時代の終わりとされる三世紀中頃から大化改新に始まる律令国家成立までのおよそ四百年間を指す。各地に君臨した王や豪族が、それぞれの土地と人々を支配し、その政治力の大きさを古墳の大きさで示そうとした時代である。

大陸から伝えられた古墳には、円墳、双円墳、方墳など様々なかたちのものがあるが、なかでも前方後方墳と五世紀に全国的に流行した前方後円墳は日本独特のものである。この地にあったとされる池浜古墳の存在は、その規模の大きさから、相当な勢力を誇った人物を連想させる。また、対岸には大麗女島、小麗女島というまことに艶めかしい名前の島々がある。両島には、海軍 時代、軍港に出入りする軍艦、汽船、漁船に至るまで全ての船舶の監視所が設置され、出入港に際してはこの監視所とたえず信号を交換しなければならなかった。この大麗女島でもやはり古墳時代のものと推察される土師器や須恵器が出土しているのであるが、このあたりに君臨したであろう美しい女王の存在が、島の名称からつい気分として呼応してしまう。

弥生時代後期には卑弥呼が鉄の独占的輸入権を握り、広く日本の諸豪族を支配下に置いた。鉄器の使用が稲作の効率を飛躍的に高めるからである。陽が沈む頃、海上保安大学校の正門前にある小さな砂浜に立ち、対岸の大麗女島を眺めると、海面が金色に染まり、神を身近に感じることができる。そして、卑弥呼が存在していた時代から数百年後、この界隈で海を背 景に鉄器の物流ルートを押さえ、大きな勢力を誇っていたとおもわれる美しい女王の存在に心を動かされるのである。