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大空山登山

大空山展望台にて、警固屋、倉橋から広海道までを振り返る

休山山頂で天応から子規句碑前までを振りかえった後、警固屋と高烏台をあるいて倉橋島に上陸。音戸、倉橋、桂濱神社、鹿島、波多見と美しき島を一周して、大入、阿賀、神田神社、広に至る諸海道をあるいてきた。途中、客観的な視点もとりいれるため、呉とゆかりの深い宮島や京都六波羅、さらに は日本とのかかわりが深い台湾といった寄りみちもあったが、なんとか広までたどりつくことができた。たしかに呉のまちについては、明治時代に海軍が置かれてからの歴史ばかりが注目される傾向にある。しかし、ここまでの諸海道をあるいてきたことにより、呉が古来より船舶の材料に適していた榑 (くれ)の木の一大産地であったことを背景に日本最大の造船地であり、海上交通の要衝として様々な地域の人々との交流をはかりつつ大いに栄えていたことを知りえた。

このたびは、これら諸海道を振り返るべく、大空山山頂にのぼることとした。大空山は阿賀の背後にそびえたつ標高205メートルの小高い山である。戦時中は砲台山ともよばれ、対空高射砲の要塞地であった山頂付近も、現在では大空山公園として美しく整備されており、高烏台公園や串山公園などと共に呉を代表する山桜の名所とされている。その大空山公園にある展望台の最上階へのぼると、足元に広がる阿賀や広のまちなみはもちろんのこと、大入の海岸線やその先にうかぶ情島や倉橋島を眺望することができる。さらに、これからむかうべき仁方方面にそびえる標高358メートルの白岳山やその背後に連なる蒲刈諸島までをも望むことができる。

目の前に広がる美しき国原と海原、そしてその狭間につづく諸海道を眺めつつ、我々は、郷土の歴史というものにあまりにも無関心になってしまっているのではないかと思った。このような美しき自然、そしてその背後に宿る悠久の歴史を知ることは、私たちの先人が数々の艱難を乗り越えて今に伝える郷土そのものを大切に思う心につながり、未来への責任を担っていく原動力となるものである。このような「歴史ある郷土を大切に思い、よりよい未来を構築していく力」を持ってこそ、他の地域の人々がそれぞれの郷土を大切に思う心に共感することができ、日本民族の故郷である国家そのものを大切に思う心につながっていくのではないだろうか。

戦後、日本人は、歪んだ歴史認識を背景に、世界に誇りうる素晴らしい歴史と武士道に象徴される精神遺産を有しながら、自国の歴史への無関心を加速させ続けている。これには米国の占領政策など様々な要因が挙げられているが、日本の歴史を学ぶ第一の目的は、我々の先人が無数の艱難を乗り越えて今に伝える祖国そのものを大切に思う心を養うことにあり、未来への責任を担ってゆく原動力に直接つながるものでなければならない。正しい歴史認識もなく、目先の利害や個々の地位に振りまわされる程度の国家観しか持てない状況であれば、諸外国を理解することができず、また諸外国から信用されえないのではないか。これまでの道のりを振り返るべく大空山にのぼった最後の感想がこのようになってしまうとは、まことに意外であった。