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長門のみちⅡ

吉田松陰の師、玉木文之進を偲び、教育とはなにかを考える

野山獄から東へあるき、松本川を越えると松本村という集落があり、ここに明治二十三年(1890年)に吉田松陰を祀るために創建された松陰神社がある。松陰神社の敷地内には、松下村塾が当時のままの状態で大切に保存されている。松陰神社裏の細いみちをあるいてゆくと、池田屋事件で新選組に討たれた吉田稔麿生誕の地や初代内閣総理大臣、伊藤博文の旧宅と東京より移築された別宅があり、さらにあるくと「松下村塾発祥の 地、玉木文之進旧宅」がある。玉木文之進は松陰の叔父であると同時に松下村塾の創設者である。また、少年期の松陰に兵学を指導すると共に武士道を叩き込んだ人物 であり、これを物語る有名なエピソードがある。

ある夏の日、農作業をする文之進の傍らで読書中の寅次郎(松陰)がつい頬の汗を掻いた。それを見た文之進は「貴様、それでも侍の子か」と叫ぶなり怒り狂い、八歳の寅次郎に対して、気絶するほど殴る蹴るの折檻を加えたという。

玉木文之進にとって、サムライとは公のために尽くすものであるという以外の何ものでもなく、極端に私情を排した。読書は社会のために役立つ自分をつくる行為であり公とされる一方、頬の痒みは私であり、掻くことは私の満足とされる。読書という公に役立つ自分をつくっている最中に私の満足をはかることを許せば、将来、社会に出たとき私利私欲をはかる人物になる。故に殴ったのだという。 個人の権利ばかり主張させる現代人からみれば、恐るべき教育といえるのではないだろうか。

しかし現代において、「何のために勉強するのか」という子供が持ちうる素朴な疑問に答えられる大人がいかほど存在するであろうか。「よい高校に入って、よい大学に入り、少しでも条件のよい職場につくため」と個人の出世欲や虚栄心を刺激する程度の答えしか出てこない例が多々みられるが、これこそが歪んだ教育の元凶といわざるをえない。将来に備えての自己の保身欲を満たすために丸暗記ばかりしてきた人間が社会に出て、それに報われようと私利私欲を図る方向に走ってしまうことはいわば当然の帰結であり、ここ数十年来、国家経営や企業経営に見られる無数の失態の根本原因はここに尽きるのではないか。

教育で一番肝要なのは、玉木文之進ではないが、学問する目的という大前提を体に叩き込むことにほかならない。学問とは、公を担い、社会に役立つ自分を創り上げるためになされるべきものであり、決して個人の出世欲や虚栄心、保身欲を満たすための暗記ゲームではないのである。文之進の教育方針 は極端な例であるにせよ、人としての義務や公への責任を教え込む以前に、個人の権利ばかりを主張させ、私欲に訴えて実用性に乏しい知識を暗記させることを繰り返し、未来を担うべき子供たちの精神を腐らせるわが国の戦後教育には歯止めをかけなければならない。