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大崎下島海道

大崎下島の南岸から一峰山を望みつつ北上し、大長を訪ねる

豊浜大橋をわたると大崎下島であり、島の西側およそ三分の一は豊島や斎島、尾久比島、三角島などと共に豊浜町である。豊浜町大浜地区には、大浜の社倉という広島県指定史跡がある。これは、江戸中期である安永八年(1779年)、広島藩が全国的に広がっていた飢餓に備えて穀物を貯えておくため、領内の村々に建てさせた社倉の一つである。建物は間口三間、奥行二間の土蔵造りとなっており、柱材に栗の木、梁材に楠を使用。屋根は本瓦葺きであり、今なお、見事にその原型を留めている。

大崎下島の東側およそ三分の二は豊町である。島の西南海岸を天然記念物であるアビ渡来群遊海面を眺めつつあるいてゆくと間もなく豊浜町から豊町となる。この豊町も、豊浜町や蒲刈町、安浦町、音戸町、倉橋町と共に平成十七年(2005年)三月に呉市と合併。これにより、呉市は三百キロという日本屈指の長い海岸線を誇ることができるに至っている。

豊町にはいるとやがて沖友地区に到達するが、この沖友地区にはうつろ船漂着の言い伝えがあり、船絵馬が多数奉納されている天満神社が海を望んでひそやかにたたずんでいる。天満神社から標高449メートルを誇る一峰寺山を望みつつ島を縦断するみちを北へあるいてゆくと久比港を中心とする久比地区がある。

久比港の北西には、三角島という高貴な名前の島がうかんでいる。この三角島の大部分は豊町であり、その東岸に位置する美加登神社の裏手には六世紀に築造されたとされる二つの古墳、三角古墳一号墳と二号墳がある。

この島でも古来より、私たちの先人が生活を営んでいたばかりでなく、小さなくにが形成されていたことが推察される。それにしても、島や神社の名 称に何故、天皇や皇室、あるいは朝廷を意味する「みかど」という言葉が使われるようになったのかまことに興味深い。

久比から大崎下島北岸の海道をあるいてゆくと平羅島とを結ぶ平羅大橋、平羅島と中ノ島を結ぶ中ノ島瀬戸大橋があり、中ノ島はその東に連なる岡村大橋によって愛媛県今治市である岡村島と結ばれている。大浦海道で触れた豊浜大橋が平成二十一年(2009年)に開通し、上蒲刈島と豊島が結ばれることにより、呉市街から陸上交通で直接、今治市へ行くことが できるようになるのである。

瀬戸内海のほぼ中央にうかぶ大崎下島の北東部の大長地区は、みかんやレモンの産地である。なかでも大長みかんは豊町が全国に誇る温州みかんのブランド として有名である。温暖な瀬戸内式気候と水はけのよい石積みの段々畑で栽培されるこの大長みかんはコクのある甘味が人気を集め、全国へ出荷されている。