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遥かなるアンタルヤⅡ

アンタルヤ近郊のアスペンドス、ペルゲ遺跡を訪ねる

トルコの一大リゾート地であるアンタルヤは、地中海に面する人口百万の都市であるが、年間に五百万人もの観光客が訪れる。このたび滞在したクレムリン・パレスから車で一時間ほどの位置には、アスペンドス、ペルゲ、スィデといったトルコを代表する古代遺跡がある。

アスペンドスでは、紀元前八世紀頃からすでに土着の人による町が形成されていたようであるが、トロイ戦争の兵士による設立伝説が色濃く残っている。紀元前六世紀にリディア支配からペルシア支配へと移り、アレクサンドロス遠征時に町は武力により制圧された。ローマ時代にはこの近くにあった 塩湖から産出された塩で栄えたというが、ビサンティン時代には港が埋まり、アンタルヤの台頭などによって衰退したといわれる。

アスペンドス遺跡のなかでは、二世紀後半頃に造られた二万人収容のアスペンドス円形劇場跡が圧巻である。舞台背後の壁も修復されており、トルコに残存する円形劇場のなかでもいちばん保存状態がよいとされ、現在でもコンサートなどが頻繁に開催されている。

アスペンドスの近郊にペルゲという古代遺跡がある。ペルゲ遺跡周辺には、アスペンドスのものより小規模な円形劇場跡や楕円形の競技場跡がある。楕円形の競技場跡はアナトリアではアフロディアシス遺跡とこのペルゲにしか存在しない。この競技場では、馬に戦車をひかせるレースや剣闘士のショーなどが実施されたという。

このペルゲも古代にトロイ戦争の残存兵により築かれたという伝說があるが、ペルゲが歴史に登場するのは、アレクサンドロスの遠征以後であろう。ペルゲはアレクサンドロスに協力することで大いに発展した。セレウコス朝、ペルガモン王国の支配を経てローマ時代になると、パリンフィアの中心都市として繁栄を極めた。パウロが第一回伝道旅行で訪れたのは、 この全盛期のペルゲであった。当時のペルゲでは、エフェソスと競うほどアルテミス信仰が盛んであった。パウロによる布教が成功したかについては疑問が残るが、ペ ルゲは早い時期からキリスト教を受けいれた町であったことが偲ばれる。

トルコ有数の博物館であるアンタルヤ歴史博物館には、アンタルヤ近郊のカライン洞窟で発見された旧石器時代の遺品やペルゲ、アスペンドス、スィデなどの古代遺跡からの出土品、さらにはロー マ、キリスト教、オスマン時代の遺物までが幅広く展示されている。ローマ彫像の大ホールには、美し い踊り子像を中央にゼウスなどの神々やローマ皇帝像などが収蔵されており、その数の多さに圧倒される。キリスト教時代の遺品としては、数々のイコンや聖ニコラウスの骨も展示されており、まことに見ごたえがある。