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遥かなるアンタルヤⅢ

地中海に臨む旧港エスキ・リマンにてサムライを考え、郷土を偲ぶ

トロス山脈から地中海にかけて緩やかに傾斜した位置に存在するアンタルヤは、河川が多く肥沃な土地で、旧石器時代からの住居跡も確認されており、古代にはパリンフィアとよばれ、紀元前七世紀には、イオニア人やアイオリス人が移住したとされる。現在遺跡が残されているアンタルヤ近郊の古代都市ペルゲやアスペンドス、スィデなどがまず開かれたが、アンタルヤのまち自体の設立はこれより後に、リディアやペルシアがこの地域を支配した紀元前六世紀とされている。

アンタルヤ中心地にあるハドリアヌス門は、西暦130年にロー マ、ハドリアヌス帝の統治を記念して建造されたものであるが、両側を塔ではさまれる三連アーチの美しい大理石の門である。この門から、オスマン屋敷が数多く残存する旧市街カレイチをしばらくあるくと、アンタルヤ観光の中心である旧港エスキ・リマンにたどりつく。

この港に係留されている観光用ボートのなかにSAMURAIという名がつけられたものが十艘以上あった。何故、日本から遥かに遠いアンタルヤの港に日本の武士をあらわすSAMURAIという名のボートが数多く存在するのであろうか。道案内をつとめて頂いたイスタンブール生まれのティフィクさんに尋ねると、SAMURAIはずっと以前より世界共通語であるという。

人がどう思考し、いかに行動すれば公のためになるかを考えたのが江戸期の武士道である。幕末に数多く出現した志士たち、武士道が濃厚に残る明治初期のエルトゥールル号沈没時に活躍した人々たちなどのように、利他の精神や惻隠の情、公共心といった格調高い精神性を備えた人間像は、日本以外の国々では成熟しえなかったにちがいない。

サムライという日本語が江戸時代から現代に至るまで、世界共通語であるというまぎれもない事実は、ただ単に彼らの格好が物珍しかったからではなく、人類が理想とする美しい人間像としての価値が広く認められていることを意味する。サムライは、日本の一文化を超越した普遍的な価値を持つ「文明」といえるであろう。

物質的に豊かになる一方で日本人としての誇りが喪われつつある現代、私たちは今一度、日本という国がサムライを生み出したという歴史を見つめ直し、日本人として世界においてどう行動していくべきかを考えていかなければならない。長い歴史をもつアンタルヤは日本から遥かに遠い都市であるが、どことなく私たちの郷土である呉を想いおこさせる美しいまちである。青い海と青い空を背景に白いヨットが出入りする港の風景がとりわけ美しい。アンタルヤから望まれる地中海は、瀬戸内海を偲ばせるほど波ひとつなく静かであった。